弥十郎、北海道に渡るー古文書に記された高輪築堤⑧
「高輪築堤」の建設に関わった平野弥十郎の記録、今回は明治5年(1872)の弥十郎の北海道転出に関してです。出典は桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』(北海道大学出版会 2000年)となりま 続く
佐藤大介による東北の古文書・地域史・郷土史の電子情報館です
「高輪築堤」の建設に関わった平野弥十郎の記録、今回は明治5年(1872)の弥十郎の北海道転出に関してです。出典は桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』(北海道大学出版会 2000年)となりま 続く
高輪築堤の工事に携わった、土木請負人・平野弥十郎の記録を中心にみる当時の状況、今回は弥十郎の築堤工事との関わり、そして鉄道の開業を迎えます。出典は特記なき限り、桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維 続く
「高輪築堤」の工事に関わった平野弥十郎の記録の紹介、今回は明治4年(1871)。いよいよ高輪での築堤が始まったようです。弥十郎の活動についての転居は、特記なき限り桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維 続く
前回、弥十郎が、高輪築堤や八ツ山橋の橋台など、鉄道建設のために用いる石材を、相州真鶴(神奈川県真鶴町)から直接調達するほかに、東京・深川からも調達を図っていたことを記しました。 「東京諸問屋沿革誌」 続く
高輪築堤の建設に関わった、平野弥十郎日記の紹介、今回は明治3年(1870)から4年です。出典は特別な注記のない限り、桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』(北海道大学出版会 2001年)です。 続く
高輪築堤の工事を請け負った平野弥十郎が残した日記、明治3年(1870)の続きです。いよいよ高輪の海上築堤の話題に移っていきます。出典は注記のない限り、桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』( 続く
仙台藩邸が新橋駅の敷地になる「高輪築堤」の建設に関わった平野弥十郎の記録、明治3年(1870)の記事の要約メモです。桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』(北海道大学出版会 2001年)です 続く
新橋駅の敷地―仙台藩・龍野藩・会津藩の江戸藩邸 今回は、日本最初の鉄道の起点・新橋駅の敷地となった、仙台藩の江戸屋敷(江戸藩邸)についてのメモです。 仙台藩江戸藩邸については、2003年に刊行された『 続く
「高橋兼助旅日記」の原本を調査5月30日、福島県川俣町の、高橋家住宅に古文書の撮影調査に出かけました。以前に、伊勢参りの途中に立ち寄った東京で、「高輪を走る列車」を記録した、川俣町の絹商人・高橋兼助の 続く
「高輪築堤」の記録を求めて 先ほど平野弥十郎の事を紹介しましたが、一方で、あのとき東京にやってきていた旅人たちは、「蒸気車の走る高輪の築堤」のことを何か書いていないだろうか、ということを考えました。 続く