高輪築堤の顛末に思う

投稿がごぶさたになってしまいました。今朝、9月21日の「朝日新聞」朝刊の社説は、高輪築堤の「保存」をめぐる経緯を取り上げたものでした。

遺跡保存と国の関与
今回出土した800メートル分の遺構は、結局130メートルの部分保存にとどまるようです。その130メートル分だけでも「残った」のは、最後は「政治判断」でした。国には、文化財保護法における史跡に指定される以前の遺構に対する権限がないので、今回の件を教訓として、国の関与を強められるような方向での制度を検討する方向になったようです。

「朝日」社説では、開発地から遺跡が出土した場合に十分な検討が出来るような法制度の工夫を、主張。一例として行政内部での都市開発と文化財部局との情報共有や試掘、近代遺構の事前の所在確認などが挙げられています

開発を検討する場、都市計画を検討する公の場に、文化財関係者(まずは考古学、建築史となるでしょうが)の「席が与えられる」のならば、「文化財を生かしたまちづくり」に資するのではないかと期待されます。

熟議は尽くされるのか
私自身の経験では、東日本大震災で被災したある町の歴史的建造物の保存に関する会議で、委員がこぞってまちづくり担当課との連携を、と主張したのですが、結局実現しませんでした。文化財を活用するには、文化財を超えた様々な問題が起こるのであって、そのことを関係者で議論することは不可欠だと考えます。

一方で、この手の会合は、予算や事業計画の都合なのか、結論ありきで、重要な問題提起や論点が出されても十分な議論の時間が確保されない印象を持ちました。熟議を尽す環境のないままで出された結論について、「文化財関係者も同席する場で(開発を)決めた」ということが、ある種のお墨付きになってしまう懸念もあります。

また、私も含めた文化財関係者としては、今回の高輪築堤のように、100パーセントの保存が実現しないことを、受け入れられるか(受け入れてよいのか)という問題も問われることになるのでしょう。考古学や建築史の方は、そういう悔しい思いをたくさん重ねて、対応の方法を錬磨してきたと思うのですが…。

「担当者の熱意」
ところで「朝日新聞」9月14日朝刊の関連記事には、「(東京)都内のある自治体の関係者」のコメントとして、遺跡の保存は担当者の経験や熱意にも左右されるとともに、「開発事業者が大手なら(一自治体の担当者は)萎縮することもあるのでは。文化庁がもう少し頑張れば残せた文化財もあると思う」との談話が掲載されていました。

今回、文化庁の現場の「頑張り」はどうだったのでしょうか。いずれ時が来れば、歴史公文書の中から、そのことが見いだせるのでしょう。話が逸れますが、10年前の「文化財レスキュー」は、文化庁の担当者が相当頑張ったのだな、と思い起こされます。

今回出土した「高輪築堤」800メートルの遺構の、85パーセントは姿を消すという現実は変わりません。尊い犠牲とするには、あまりにも惜しい世界遺産級の遺産。。この区間に続く未発掘の遺構がもし残っているのならば、それはきちんと保存されてほしいと思うところです。

(参考) *すべてWebでは有料記事/2021年9月21日閲覧
「埋蔵文化財保護、国が早期関与へ 萩生田文科相が見直し方針」『朝日新聞』2021年9月14日朝刊 https://digital.asahi.com/articles/ASP956SDNP8XUCVL007.htm
「高輪築堤、国史跡への舞台裏 JR東の保存方針、文科相視察で一転」『朝日新聞』2021年9月14日朝刊 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15042312.html
「(社説)高輪築堤 教訓生かし制度再考を」『朝日新聞』2021年9月21日朝刊
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15050298.html

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