世上は新型コロナウイルス(COVID-19)一色、という感じで間もなく発生から9年半が経つ「3.11」など霞んでしまうかのようです。私自身も新型コロナウイルス下の仙台の様子を記録するのに夢中、というところもあり、反省至極です。
なので、ということでもないのですが、以前から探していた、2001年から2002年にかけて私が撮影した、宮城県北上町と雄勝町(いずれも現・宮城県石巻市)の写真をようやく見つけました。CD-ROMの中に50~60点。これに、2000年代後半の写真もあわせて、300点ほどが手元にあります。
2001年当時の私は、宮城県北上町の自治体の歴史を編集する活動のアルバイトで食いつないでいました。一か月に一回、いやそれ以上の頻度で、編さん事業の拠点であった北上町中央公民館や、古文書をお持ちの北上町および雄勝町の個人宅を訪問していました。また、自分なりに地域の様子を知ろうと、レンタカーで出かけもしていました。私が歴史研究を専門技能とする礎は、この間の経験で築かれたと考えています。
写真の一部を紹介します。まずは今回見つけた、雄勝町名振地区の遠景。
それから雄勝町中心部の遠景。いずれも2002年の撮影です。
北上町については今回見つかったものではありませんが、2009年に石巻市河北地区(旧・河北町)の横川如来の裏山から撮影した北上川河口の遠景です。写真の右側奥には海岸林が写っていますが、津波で失われました。河口には大きな堤防が作られています。
結果的に、3.11で失われてしまったものを撮影していた、ということになるのですが、一方でより強く感じたのは、2001年当時の私は、北上町や雄勝町の古文書には関心があっても、それらの町の「現在」にはあまり関心が無かったのだろう、ということです。
雄勝町や北上町の「現在の」集落の様子や道筋を写したものは、掲載したものぐらいでした。地域に残された古文書を調べるのが仕事だとはいえ、そこに記された歴史の積み重ねを経た「今」もまた歴史の一部である、という姿勢があれば。21世紀の初めの時点で、デジタルカメラでデータ残量など余り気にせず撮れる条件もあったのに、などと自省する機会ともなりました。
いずれ稚拙な写真ばかりの私の記録ですが、9年半前の津波で、「今」の記録の多くも失われたのであろうと考えれば、それを共有していこうとすることに、なにがしかの意味はあるのかも知れません。ほかの写真も含め、その手立てを考えて見ます。