昨日8月30日は、北海道大学との共催によるオンライン会合を主催していました。主な話題は、目下世界中の人々が直面している、COVID-19(新型コロナウイルス)の中での人々の生活や社会の様子を伝える資料をどのように収集するか、というものでした。
私自身は、3月半ばぐらいから、身の回りの記録を残すように取り組んでいます。この状況で様々な活動が制約されたこともあって、これぐらいしか出来ることがなくなったこと。私自身が、仙台藩士・別所万右衛門や、仙台藩の商家・丸吉皆川家の、今から約190年前の災害記録を学んでおり、私自身も「未来の古文書」を残す意義を感じたこと。さらに、災害とそこからの人や社会の動きに関する様々な記録を収集し、後世に伝えようとする「災害資料」の保存の取り組みについて、1995年1月17日の阪神・淡路大震災を経験した兵庫県や、2004年12月の中越地震を経験した新潟県長岡市での活動を学んでいたことが大きな動機となっています。
4月以降に開催予定だった行事のチラシを回収する。場所を決めてスマートフォンで写真を撮影する。自宅のポストに投函されたチラシを保存しておく、などなど。新聞の折り込みチラシは、せっかく向こうから毎日届けてくれるのに、その意味に気づくのが遅れて5月中旬からになりました。緊急事態宣言の中での広告を残せなかったのは悔やまれるところです。
不幸にして、ということになるでしょうが、日常のすべての様子が、将来の歴史資料としての価値を持つ可能性がある以上、いまはとにかく気づいたものは出来るだけ残しておくようにしています。
その一部を紹介してみましょう。新聞チラシは先のように新型コロナウイルス対策が本格化してからのものですが、実に様々な活動がオンライン化されたことが分かります。塾の夏期講習、新築マンションの内覧、果ては美容まで。食料品の宅配に関するチラシも、それまでのピザや寿司以外のものも増えたようです。感染拡大の温床と非難されたパチンコ店の、感染防止や自らの立場を表明したチラシは、その内容が公の文書では残りにくいと思われるだけに、興味深い者です。
街の様子。写真は、5月8日と7月6日の仙台駅です。私の感覚になってしまいますが、お盆明けからは人通りが目に見えて多くなったと感じます。
しかし、仙台の普段を知らない人にとっては、「新型コロナウイルスで人通りが減少した」という説明がないと、一体何の写真なのかは分からないでしょう。さらに、人通りの少ない時間帯は、COVID-19感染拡大とは関係なくありました。この写真も、撮影時間がずれています。
また、見た目の人通りが戻ったとしても、そこを行く人々の心境は、COVID-19以前とはもちろん異なっていることでしょう。気にせず外出しているのか、恐る恐るなのか。それらのことを、どのように記録しておくのか。
さらにいえば、そもそも「その場所」で撮影することが、「仙台の日常を記録する」ことに適当なのか。
この活動を始めて気づいたのは、私は「仙台の街の普段を知らない」ということでした。もう30年近くも暮らしているのに。
別所万右衛門さんや、皆川喜平治さんと同じような記録を私も作ろう、などとやや軽い気持ちで始めましたが、本当に後世の人が、今の状況を考えるための手がかりを残せているのか、と迷いもあります。しかし、たとえ失敗だとしても、その失敗を記録しておくことも、また意味のあること、と自分を励ましつつ、引き続き取り組んでいくつもりでいます。