仙台藩の洋式艦船・開成丸の航跡

2022年3月11日に刊行した報告書、2件目は仙台藩が幕末に建造した洋式艦船(帆船)開成丸に関するものです。

佐藤大介・黒須潔・井上拓巳編著『仙台藩の洋式艦船 開成丸の航跡 幕末の海防構想と実践の記録』

 仙台藩の天文学研究の一環として、長年開成丸に関する史料の掘り起こしを続けている黒須潔さんの成果を基に、黒須さん、さらには東回り海運の研究者である井上拓巳さんとの協働で、関係記録を改めて集成。その上で、改めて幕末の仙台藩の政治社会史のなかで、造艦の意味を位置づけ直そうとしたものです。

 今回初めて公刊された史料には、早稲田大学図書館所蔵の「大槻習斎造艦関係書類」、仙台市民図書館所蔵の「ふなわたり日記」(乗員の一人だった天文家・村田明哲の航海日記)、東北大学附属図書館所蔵の志村恒憲日記および小西文書(仙台城下町商人の古文書)があります。

 千葉真弓さんによる表紙、開成丸の帆の上端に青い印があります。口絵資料にも描かれている、史実に基づくものです。これは、古代中国の伝説で東方を守る「青竜」から取ったもの。「日本の東方を守護する役割を持つ大藩である」という仙台藩の自己認識に基づいています。

 造艦の私の論考では、大槻習斎が仙台藩の近代的な「海軍」建設を志したこと、西洋列強に範を取り艦隊による海防と流通再編を軸にした「海洋国家」としての仙台藩再建を構想していたと指摘しました。
 西洋列強の具体的な例としては、ロシア帝国が挙げられています。仙台藩はペリー来航からさかのぼること50年前、蝦夷地でロシアと対峙していました。現実的な脅威かつ最も近いヨーロッパ、寒冷地の大国という点に、共通点を見いだしていたようです。

 さらに、「ふなわたり日記」で記された万延元年(1860)冬から翌年春の航海は、高潮による領内塩田の被災による塩不足から「国民」を救済するため、浦賀で瀬戸内産の塩を買い付けるという「災害支援活動」であったことも明らかになりました。その後の開成丸は、薩摩産の砂糖など藩による交易活動にも当たっていました。

 現在確認出来た史料のほぼすべてを集成出来たと思いますが、最大の謎は残りました。開成丸がいつ失われたかです。私の論文では文久3年(1863)春、と推測しましたが、これは今後の宿題として、史料の探索を続けたいと思います。

こちらも、東北大学学術リポジトリで全文をご覧いただけます。ダウンロードおよびPDFファイルの配布も、形を変えななければOKです。多くの方にご覧いただければ幸いです。

◎書誌情報
・書名 仙台藩の洋式艦船 開成丸の軌跡 幕末の海防構想と実践の記録
・編著者 佐藤大介・黒須潔・井上拓巳
・刊行年 2022年3月11日
・出版社 東北大学災害科学国際研究所 歴史文化遺産保全学分野
・制作 蕃山房

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